へなちょこ綾香ものがたり

その2「泡沫夢幻」








「お風呂、入るわよ」

「あぁ?」

 晩飯を食った後。
 マルチをからかって遊んでいる俺の傍に、タオル片手の綾香がやって来て。

 むにー……っ。

「ひっ、ひほふひはん〜……ほんはひほっへをひっはははいへふははひぃ〜」

「あ? す、すまん。綾香が妙なこと言いやがるもんだから」

 慌ててマルチの頬から指を離す俺。
 延びてないかどうか、心配そうに自分の頬をさするマルチの頭をなでながら。

「妙とは何よ? マルチもセリオも浩之と一緒に入ってるってのに、私だけが
のけ者?」

「いや、そういうわけじゃなくてな……ほら、やっぱりこういうことはお互い
の気持ちが大事だしさ……」

「……だって、この家の決まりなんでしょ? なら、居候の私は従うしかない
じゃないの」

 ……決まり?
 誰が、そんなことを?

 俺と一緒に風呂に入るのが『決まり』だったから、マルチもセリオも……?

「誰が、そんなことを言った……?」

 しかも、『従うしかない』? 馬鹿にするなよ、俺は居候だからってそんな
ことを強要する程腐っちゃいないぞ。

「な、何よ? 恐い顔して」

「あの……私が、綾香さんに……」

 俺の後ろから声がかかり。
 恐る恐る申し出たセリオの言葉を、綾香の一喝が遮って。

「セリオっ!!」

 びくっ!

「も、申し訳ございません……」

「……浩之。細かいことはいいから、私と一緒に入るの? 入らないの?」

 ……何も、細かくはない。
 何も、よくはない。

 だから。

「……そんな決まりを作った覚えはない。だから一緒に入る必要はない」

「そう……わかったわ」

 どこか、落胆した風に。
 それでも、しっかりした足取りで居間から歩き去る綾香。

 俺は、その背中を見つめつつ。
 少し、胸が痛むのを感じていた。






「えー? どうして一緒に入っちゃ駄目なんですかー?」

 バスタオルを巻いただけの格好で、あひるの玩具を振り回して。
 俺の言った『今日はみんな1人で入ろう』に対して、身体中で抗議している
マルチ。

「……今日の綾香を見たろ? 別に『決まり』じゃないんだからな、俺と一緒
に風呂に入るのは」

「決まりなんか、関係ないですぅ。私は、浩之さんと一緒にお風呂に入りたい
から……だから浩之さんと一緒に入るんですぅ!」

 ……敵わないな、マルチには。

「わかったよ、一緒に入ろうぜ」

「わーいっ、嬉しいですぅ☆」

 わたわたわたっ……はらり。

「おい、嬉しくて踊るのはいいけど……タオルくらい押さえておけよ」

 ある意味俺も嬉しいが(爆)。

「はうっ、まいっちんぐですー」

 ……どこで覚えてきたんだよ、ソレ。

「ん……?」

 ……と、その時。
 俺はどこかから視線を感じた。

「…………」

「浩之さん、早く行きましょうよぉ〜」

「……おう、行くとするか」

 が、気付かないフリで。
 首からぶら下がるマルチを抱えながら、風呂場へ歩いて行くのだった。






「……やはりマルチさんのように、素直に言うのが一番なのでは……?」

「馬鹿、それが出来ないんじゃないのよ」

「ですが……先程のパターンでは、浩之さんを怒らせてしまったようですが?」

「……やっぱり、素直に言うしかないのかしら……」






「ぷぅー! 浩之さんたら、ひどいんですぅ」

「ははは……あんなのに引っかかるなんて、マルチはやっぱり……」

「ほへ? やっぱり、何ですか?」

 風呂上りに、マルチの髪を拭きながら居間へ来た俺達。
 ……そこには、綾香が立っていた。

「浩之、ちょっといいかしら?」

「おう……いいぜ」






 マルチは先に俺の部屋へ行ってもらって。
 セリオの姿は居間にはなくて。

 今、綾香と2人きり。

「あ、あの……さっきはごめんね」

「何がだ?」

「その……お風呂に入る決まりとか何とか」

 何だ……そのことか。
 さっきしっかり言わなかったか? そんな決まりはないぞ、って。

「ああ、別にいいさ」

「アレはね……セリオに相談したのよ、『あなた達みたいに、浩之と2人一緒
にお風呂に入るにはどうすればいいか』ってね……」

「……何?」

 何でまたそんな酔狂なことを。
 ……おっと、そんな言い方したらマルチやセリオの立場がないか。

「でね、セリオが『……半ばお約束になっていますから』っていうもんだから
……あんな言い方になっちゃったの。悪気はなかったの、許してくれる?」

 ……なるほど。
 大体のところは、わかった。

 だが、1つだけ解せないところがあるぞ。

「何故、そんなことを?」

「ぜっ……全部言わなきゃ駄目?」

 ……気付いたら、綾香の頬が真っ赤に染まっている。
 む、むぅ……困った顔の綾香というのも、なかなか可愛いもんだな。

「無理にとは言わんが、聞かせてもらえるとありがたい」

「あっ……あのね……」

 綾香が。
 あの綾香が、胸の前で両手の指をいじって『もぢもぢ』してるっ?!

 ……か、可愛いじゃないか……。

「ちょっと、耳貸してくれないかな……」

「お、おう」

 言われるままに、ふらふらと綾香の傍に寄っていく俺。
 最早、俺が綾香に抗う術はなかった(爆)。

「あ、あのね……」

 ご、ごくり。

 何も音のない部屋の中。
 息を飲む音が、妙に響いたように感じられて。

「…………」

「……前から、好きだったの」

「……聞こえない、もっとはっきり言ってくれ」

「浩之のことが、好きなの」

 …………。
 聞こえてはいるけれど。

 でも……真っ赤な顔で、一生懸命に話す彼女が。

 綾香が、可愛い。
 綾香を、もっと見ていたい。

「もう1回だけ、ラスト頼む」

「……聞こえてるんでしょ、本当は」

「いや、断じてそんなことはないが(汗)」

「む〜っ……」

 ううっ、そんないぢらしい眼で見ないでくれよぅ。

「浩之のことが、好きだから……だから、その……ねっ?」

「……綾香」

「な、何?」

 いつもとは違うトーンの声に戸惑う綾香。
 でも、声のトーンが違うのは……俺も、ちょっと戸惑っているから。

「……俺、気が多い男だぞ?」

「わかってるわよ、そんなの」

 何を今更。
 彼女は、そんな表情で。

 ……それでもいいというのか。
 冗談なんかじゃ、ないんだな……。

 きゅっ。

「綾香……」

「ひっ、浩之っ……」

 俺が、綾香を抱きしめると。
 わずかに身体が硬直したのがわかったが、それも一瞬で。
 すぐに、俺に身体を預けてきた。

「わかった。一緒に入ろうぜ」

「……ありがと」






 ……で。
 何か久しく忘れていた新鮮さに包まれながら、綾香と共に入浴してしまった
俺なのであった。

 ……あ、洗いっこまでしかしなかったぞ(爆)。






<……続かないのよ>
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